安心してお任せできる石屋さん
私は当寺の住職になって10年ですが、石半さんに関しては安心してお任せできる石屋さんだという印象を持っています。
もちろん、うちのお寺でお墓をたてるときは石半さんでなくてはダメですよ、などということは言いません。
しかし、施主さんからお任せ頂いたときは石半さんにお願いするようにしております。
墓石というものは非常に長持ちするものではありますが、それでも長年のうちには劣化してきます。
メンテナンスも必要となりますが、石半さんの場合はそれを自然にやっていただいているので助かっています。
例えば石半さんがおたてになったものではないお墓でも、「補修していただけないでしょうか?」とお願いしても嫌な顔はされません。
また、施主さんの中には古くなったお墓を新しくたて直したいとおっしゃる方もいらっしゃいますが、石半さんにお願いしたら「思っていたより立派なものが出来た」と喜んでいただけたこともありましたね。
墓=供養ではない
お墓をたてる時、霊園墓地にするか寺院墓地にするかということでお悩みの方も多いと思います。
もちろんどちらをお選びになるかは遺族の方々でお決めになればよいことですが、私が申し上げたいのは、「お墓をたてる=供養」ということではない、ということです。
立派なお墓をたてた。だから供養は済んだ、とお考えになる方は、交通の便もよく風景の綺麗な霊園に立派なお墓をたてれば気が済むのだと思いますが、お寺はそういう風には考えません。
霊園とは、お墓を管理し、お骨をお預かりする場所です。
それぞれの方がてんでにお参りを済ますというだけの場所です。
それに対し、お寺の墓所はご先祖様を永代にわたって供養するところです。
お寺を通じて人とのつながりが生まれ、行事を通じて仏教の考え方を知っていただく。それもお寺の役割です。
当寺も年間を通じていろいろな行事を行い、たくさんの人がお集まりになります。
例えばお盆の迎え火では200~300人がお見えになり、皆さんでご先祖をお迎えしていただきます。
施餓鬼法要ではさらに多くの方がお見えになります。
私どもなりに、皆さんに楽しんでいただけたりお子さんにも喜んでいただけるよう、さまざまな工夫をこらしております。
もちろんお寺はイベントスペースではありませんから、集客を目的にしているのではありません。
ただ、現代は核家族化が進み、「親子代々」という観念が薄らいできています。
自分には親のそのまた親の…先祖代々というものがあり、そして子孫も続いていく。
その連綿の繋がりというものを意識する契機に、お寺がお手伝いできたらよいと思ってのことです。
また、「お寺は敷居が高い」とお感じになられる方もいらっしゃるようなので、気軽にお立ち寄りいただけるように…との気持ちも込めております。
お寺との接し方について
昔の人であれば、自然とお寺との接し方、おつきあいも心得られていたものですが、現代はそうした知恵が失われ、普段はお寺やお墓というものを意識することがほとんどなくなってしまいました。
誰かが亡くなってからあわてて葬儀屋さんなどに相談するというようなことも多いでしょう。
その点、霊園であれば、あちらさんはビジネスですから「どうぞどうぞ」と招かれ、きれいなパンフレットも用意してあって懇切丁寧に説明してくれます。
お寺は基本的にお墓を商売にはしておりませんので、宣伝めいたことも一切いたしません。
ご縁があってご相談に乗り、うちの檀家さんになられるのであれば、お墓の手配もいたしますよ、という流れになっております。
それを「敷居が高い」と受け止める方がおられるのも、いたしかたない時代の流れかなとも思います。
「お寺にお墓をお願いしたいけれど、お寺にどう接していいのか、なにから話していいのかわからない」という方も多いのでしょうね。
しかし、「商売ではない」ということは、手招きもいたしませんが、いつ来られてもかまわないということでもあります。
さしあたってお寺に用事もないし墓の必要もない…という方でも、ふと将来のことやら祖先のことを考えてみた、
といったような時に気軽にお話にお見えになればよいのではないでしょうか。
お近く のお寺で宗派が合えば、ふらりと立ち寄ってみるのもよいかも知れません。
「敷居が高い」とばかり言っていないで、まずはコミュニケーションをとってみるのが一番です。
むしろ用事が出来る前に接してみるぐらいのほうがよいかも知れませんね。
また、墓地が必要な状況になって石半さんをお尋ねになった方を、石半さんに仲をとりもって頂いてご紹介をいただくという流れがあってもよいとも思います。何でもご縁ですからね。
しかし、私どもは「墓を売る」気持ちはないのです。
「供養したい」という気持ちを持たない方にはお墓をご用意したくないのです。
とはいえ、お寺ばかりが時代の変化を無視して、昔の慣わしだけをよしとしていていいのか、という気持ちもなくはありません。
家中心から個人中心の世の中になり、お墓を承継する立場の方もいろんな事情を抱えるようになりました。
お寺としても、車椅子の方がお墓参りできるようバリアフリーにしたり、子供がいらっしゃらない方の為の合祇墓・永代供養塔など、いろんな方がお墓を持てるようにする事もこれからのお寺の形として、私どもが考えていかなければならない事だと思います。
そのためにも石半さんとこれからのお墓のあり方について話し合っていくつもりです。