長くつきあいたい墓石
石半さんは、いつも親身になって仕事をしてくださる点が助かっていますね。
墓石を作るときの丁寧さはもちろんのこと、工事に来られる方もとても気さくで「ここはどうしますか」などといった話の中で「じゃあついでにあそこも直しておきましょう」といったことになります。
この地域はもともと砂地で、古いお墓などはその上に石だけを積み重ねたものもあります。
そういうお墓は、隣を掘るとそれだけで傾いたりすることもあるわけです。
他の石屋さんは自分が頼まれた所だけしか工事をしませんが、石半さんは周囲のそういうトラブルにもちゃんと目を配ってくれていて、きちんと対応してくださるので、安心してお任せが出来るのです。
「そこから草が生えて困るからちょっとコンクリートを打ってください」といったような、お墓の周辺的なことまで面倒をみてくれます。
お客さんの評判もいいですね。「立派にできました。ありがとうございます」というお言葉をよく頂きます。
古くなったお墓をたてかえたいという施主さんもよくおられますが、石を直すのは一大事なのです。
費用もかかることだし、今日明日どうこうということはない。
ただ「痛みがひどくてそろそろなんとかしたいのだが…」と思いながらも、なかなか機会がありません。
実は、墓石に関しては昔よりも今のほうが品質のよいものが入手しやすいのです。
昔は遠くから運んでくるのにも限界がありましたから近隣の石で間に合わせていましたが、今はしっかりした石を手に入れるのが容易になりましたし、加工技術も進んでいます。美しく、長持ちするのですね。
「思い切ってたてかえてよかった」と お喜びになる施主さんが多いようです。
墓石は、何十年、あるいは何百年と残るものです。
素人がぱっと見ただけでは品質はわかりません。
安い石は、見た目がよくてもすぐに痛みが出たりします。
石に大きなキズが出来たりすると、墓参りのたびにそういった箇所が気になるものです。
もちろん予算もおありでしょうが、せっかく建てるのなら後々まで信頼できる業者さんを選んでいただきたいと思います。
もちろん石半さんだけをお薦めするわけではありませんが、「どこか信頼できる石屋さんはないでしょうか?」といった相談を受けた時には、「石半さんはうちと何十年もおつきあいをしている石屋さんで、なにかあったら手当てもしてくれます。
この石屋さんでなければダメということはありませんが、一度ショールームをご覧になってみてはいかがですか?」というご紹介はしております。
お寺と檀家のおつきあい
今の時代、自分のところにお骨ができて初めてお墓のことを心配するという方も多いようです。むしろ今はそれが普通なのかも知れません。
お墓をたてるとなると、まず霊園墓地か寺院墓地かということになるでしょうが、現代は「必要以上に他人と交際したくない。なるべく関わり合いになりたくない」と考える人も少なくありません。
寺院墓地もいいけれど、どこかのお寺の檀家になってしまうとそのお寺の行事などに参加しなくてはならない。
それが苦になる方もいらっしゃいます。そういう人は霊園に行かれることでしょう。
しかし、ちょっと考えてみて頂きたいのです。
そもそもお墓とは、故人とのつながりを保つ場所です。
そしてお墓を通じて家族や親戚といった縁の深い人々との絆を再確認する場所でもあります。
そして人は、望むと望まざるとに関わらず、多くの人と縁でむすばれ、それによって生きていくものなのです。
先祖があるから、今自分はここに生きていて、自分がいなくなっても自分と血のつながりのある人が生きていきます。
自分だけ、今現在だけを考えて生きてゆくということであればお墓をたてる必要もないでしょう。
ただお骨を納めておくだけのお墓であれば、それこそ霊園でもどこへでもおたてになるとよいと思います。
しかし、それはあまりに寂しい考えではないでしょうか?
確かにお寺とのおつきあいは煩わしいと感じる方もいらっしゃるでしょう。
しかし、その反面、あらたな人とのつながりが生まれます。
最近は仏事に詳しくない方も増えましたが、どこかの檀家になっていれば気軽にお寺に相談することが出来ます。
うちの檀家でなくても、ご縁があってよく訪ねて来られる方もいらっしゃいますが、そういう時も、きちんとお話を聞くようにしています。
「お墓は田舎にあるのだけれど、仏壇だけはこちらに持ってきた。
おなじ宗派の聞きなれたお経をあげて欲しい」などと頼まれることもあります。
また、これというご用がなくても、私どもを訪ねて来られれば、お話をすることもできると思います。
人の縁を大切に…
お寺と霊園の大きな違いのひとつに、お寺はそれぞれに宗派というものがあり、ほかの宗派や宗教の方にお墓をご提供することはできないという制約がございます。
それさえクリアされていれば、原則としてどなたでも檀家になって頂く事はできますが、私どもとしましては、もう少しお願いがございます。
それは、お寺とともにお墓を守る気持ちを持って頂くことです。
決して仏教に熱心であれというわけではありません。
仏教に関心を持っていただくに越したことはありませんが、「ご先祖をお守りする」という意思は持っていただきたいと思います。
そして、和合の気持ち。
お寺や他の檀家の皆さんと仲良くして頂きたいのです。
私どもにとって檀家の皆さんは皆平等で、新しく檀家になられた人も、従来からの檀家の人も、区別はいたしませんし、経済的な事情や、社会的な地位のある方だからといって、特別扱いすることもございません。
この世に永遠というものはないのかも知れませんが、お寺というところは、住職は変わってもよほどのことがない限りお寺自体がなくなるということはありません。
当寺の歴史も今までで約470年。これからもおそらく数百年は続いてゆくことでしょう。
それに対し檀家の方々は、その年月の間には必ず浮き沈みのあるもので、今は手元不如意で十分な供養が出来ないという方であっても、お子さん、お孫さんの代になったら立派なお墓を建てられる方もいらっしゃるでしょう。
また、今は大変に裕福で世間的な発言力が大きい方でも、三代後にそれが続いているとも限りません。
人間は今だけを見ていてはいけないのです。
そういう気持ちになれば、人間みな平等、威張ったりわがままを言ったりということもなくなり、気持ちよく人と人とのおつきあいができるものです。
元来、お寺、お墓と言うのはそういうことを考える場でもあると思います。
はるか昔の祖先のことや未来の子孫たちのことに思いを馳せ、自分の命はずっとつながっているのだということを再認識し、人は人との縁があればこそ、こうして生きているのだということを実感する。
そして、感謝をもって祖先の供養をする。
縁あって知り合った人々とのつながりを大切にし、和合する。
そうした営みはその人本人の人生をきっと豊かで幸せにするのではないかと思います。