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- [お墓のことを知る・考える] 専門家の対談
- お寺とのつきあい方:その2 生老病死
その2 生老病死
昔は大家族が普通でした。
一家の中に老人がおり、赤ん坊や幼児が同居していました。
赤ちゃんが生まれ、成長する様子。
年寄りが衰えてゆき、ついに亡くなる様子、家族の誰かが病気で寝込む様子も日常的に目にして、それを自分のことにも重ね合わせて受け入れていたはずです。
それが今では、赤ちゃんは病院で生まれ、怪我や病気をすれば病院に行き、死が近づけばやはり入院して病院で息を引き取るのが当たり前になっています。
死んだらお寺で葬式を出す。
お寺は葬式の専門家のように思っていて、普段は関係ない場所だと考えている人がいかに多いことでしょうか。
生老病死は誰にでもあることなのに、元気で健康な間はそれをほとんど意識することがなく、自分の問題としてとらえていない。
そしていざ直面してみておおいに慌てることになるのです。
お墓というものはなんのためにあるのか。
それさえも合理的に考えようというのが最近の風潮です。
人間の一生には「生老病死」というものがありますが、それらは本来トータルで考えるべきことであるのに死だけを分断化してみてしまい、たんなるセレモニーとして、死をとらえることに問題があると思います。
お寺を「死の専門家」のように思っていて、だから普段からお寺との付き合いをしろなどといわれてもピンとこない方が増えたのでしょう。
本来仏教の教えというのは、人間の悩みを支えるべきもので、人の生老病死のあらゆる局面でアドバイスや癒しを施す役割を持っています。
ですから日頃の付き合いを大切にしていただきたいのです。
いま青少年の心の教育が問題になっていますが、お寺は地域の青少年の教育の一環も担うべきではないかと思いますね。